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提携式場

  • 上賀茂神社
  • 生國魂神社
  • 北御堂
  • 南御堂
  • 上賀茂神社(かみがもじんじゃ)

    フタバアオイ

    正式には、賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)。神代の昔、本殿の背後北北西に位置する秀蜂・神山には御降臨になり、 第40代 天武天皇の御代・白鳳6年(678)には、山背國により賀茂神宮が造営され、現在まで殆ど変容することのない御社殿の基が策かれました。 第50代 桓武天皇による平安京遷都以降は、皇城鎮護の神・山城国一之宮として歴代の天皇が行幸・奉幣祈願され、明治時代以降大東亜戦争終戦まで伊勢の神宮に次いで全國神社のなかでも官幣大社の筆頭となりました。 古より皇族はもとより、貴族、武家の社参相続き、現在も多くの人々に崇敬されています。平成6年には23万坪の境内全域が「古都・京都の文化財」の一つとして世界文化遺産に登録されました。

    挙式時間 約30分(事前に控室30分 挙式後写真撮影30分)
    参列人数 親族のみ・友人も可  新郎側24名 新婦側24名 計48名
    新郎新婦の移動手段 ハイヤー(手配可能)※別日の開催
    参列者の移動手段 バス(手配可能)※別日の開催
    神社参道 手水の儀&参進の儀あり 長さ50m
    雅楽 笙(ショウ)、龍笛(リュウテキ)、太鼓
    ※3種類の内、2種類にて演奏されます。また、ご要望にお応えできかねる事もございます。

    生國魂神社(いくたまじんじゃ)

    正式には難波大社生國魂神社。神武東征に際し天皇みずから石山碕(現在の大阪城を含む一帯)に日本国土の御神霊、 すなわち八十島神である生島大神・足島大神を祀られ、国土平安を祈請された事に始まる大阪最古にして総鎮守の神社。 八十島祭に代表される宮中祭祀の神社として、延喜の御代には難波大社とも尊称された。 天正13年(1585年)豊臣秀吉の大坂城築城により、現在地に遷座。爾来、本殿は幣殿とひとつの屋根で葺きおろし、 その上に3つの破風を据えた他に類例のない「生國魂造」という建築様式を継承し、桃山時代の威風を現代に伝える。 明治4年には逸早く官幣大社に列せられ、また、毎年7月11日・12日には生玉・天満・住吉と続く、大阪三大夏祭りの魁「生國魂祭」が盛大に齋行される。

    挙式時間 約45分
    参列人数 親族・友人の参列可 最大拝殿新郎側25名 新婦側25名 友人回廊にて
    新郎新婦の移動手段 ハイヤー(手配可能)
    参列者の移動手段 タクシーまたはバス(手配可能)
    神社参道 手水の儀&参進の儀あり 長さ約100m
    雅楽 生演奏「おしてるプラン」:篳篥・龍笛・太鼓 巫女の舞は「なにわ神楽」
    「やそしまプラン」:笙・篳篥・龍笛 巫女の舞は「生國魂の舞」 ※「生國魂の舞」は明治天皇が詠まれた歌に宮内庁楽部長が曲をつけた独自の神楽舞。

    北御堂(きたみどう)【仏前式】

    正式には本願寺津村別院(ほんがんじつむらべついん)。 1496(明応5)年に本願寺第8代蓮如上人(れんにょしょうにん)が、今の大阪城付近に一宇の坊舎(大坂御坊(おおさかごぼう)を建立されたことに始まり、 この大坂御坊を中心に多くの門徒が集まり、寺内町(じないまち)を形成したことに由来します。 約10年に及んだ本願寺と織田信長との石山合戦は、1572(元亀3)年、1576(天正4)年の講和を経て、 1580(天正8)年に和睦し、本願寺は、1582(天正10)年に大坂を退去し紀伊鷺の森に移り、その後、1583(天正11)年に和泉貝塚、1585(天正13)年には豊臣秀吉の切望により大坂天満へ移転します。 本願寺が京都に寺基移転後、大坂の門徒たちは、1592(天正20)年に「楼(ろう)の岸(きし)」(現在の天満辺り八軒屋付近、天満橋南詰以東)に集会所を設けます。 これが、本願寺津村別院の始まりとなります。この集会所は、1597(慶長2)年に町割改革により、当時「円江(つぶらえ)」「津村郷(つむらごう)」と呼ばれていた現在の地に移転し、「津村御坊(つむらごぼう)」と称しました。 そして、南北両御堂のその門前には多くの門徒が集まり、「御堂さんの屋根が見える。鐘の音が聞こえる場所にのれんを張る」ことを合言葉に仕事に精を出し、船場の町を形成し、商都大阪の礎を築いていったのです。 お念仏が繁盛していた当時の津村別院は、昭和20年(1945)3月の大坂大空襲で焼失してしまいましたが、その後、多くの方のお陰により、昭和39年(1964)、西洋風の建物で復興し現在に至ります。

    挙式時間 約45分
    参列人数 親族・友人も参列可(乾杯ができるのは60名様までです)
    新郎新婦の移動手段 ハイヤー、人力車(手配可能)
    参列者の移動手段 タクシーまたはバス(手配可能)
    雅楽 生演奏 (編成 篳篥<ひちりき> 笙<しょう> 龍笛<りゅうてき>

    南御堂(みなみみどう)【仏前式】

    正式には、真宗大谷派難波別院(しんしゅうおおたにはなんばべついん)。 今から400年以上前の安土桃山時代の末、1595年(文禄4)に、本願寺第12代・教如上人(1558~1614)が大坂渡辺の地に「大谷本願寺」を建立したことに始まります。 創建から2年後の1598年(慶長3)に、豊臣秀吉による大阪城の拡張と、城下の町制改革でなどにより、大谷本願寺は現在の難波別院のある地へと移転します。 また、1602年(慶長7)には、関ヶ原の合戦に勝った徳川家康によって京都・烏丸七條の地が寄進され、教如上人は大坂から京都へと寺基を移されます。 教如上人は東本願寺(真宗大谷派の本山・真宗本廟)の建立と共に、大阪の大谷本願寺の地を「難波御堂(難波別院)」とし、大阪における念仏の中心的な道場とします。 その後も上人はたびたび大阪の地に赴き、お念仏の教えを説き広め、上人亡き後も難波別院は、宗祖親鸞聖人のみ教えを伝えていく上において今日まで大きな役割を果たしてきました。 江戸時代の中期、1705年(宝永2)に、本堂をはじめ諸殿の再建を行います。 昭和20年(1945)3月の大坂大空襲で焼失してしまいましたが、その後、多くの方のお陰により、昭和36年(1961)、復興し現在に至ります。

    挙式時間 約45分(挙式後親族紹介・写真撮影)
    参列人数 親族・友人の参列可
    新郎新婦の移動手段 ハイヤー、人力車(手配可能)
    参列者の移動手段 タクシーまたはバス(手配可能)
    雅楽 CD再生 ※オプションで生演奏の可能(編成 篳篥<ひちりき> 笙<しょう> 龍笛<りゅうてき>太鼓
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